へびのあし#44

「貴方は戦力外ですよ」
「そ、そんなあ…カワリーノさん」
ハデーニャが『名誉の戦死』を遂げて以来、…いやすでにして様々なあれが場当たり的になっているような気がしなくもないこの社内では、もうすでに「次は誰か」という物騒な話題が持ちきりであった。

「だいたいさあ。一回性のブーストアイテムなんて、危なっかしくて使えませんよ。もっと実用に耐えるあれを開発した方がいいんじゃないかねえ」
 もはや自由な答えを返してきてくれる気の置けない相手なんかいないブンビーは、黙々と何かのデータを打ち込んでいる仮面社員に私語を聞いていた。
「あたしらもどうせ巨大化できるんだったら、何度も安全に出来た方がいいよ。…ホントに全く」
 来週はクリスマスか。
 サンタの奇跡は起こるのかしら。
 いや、むしろ例の聖人が絡んでくるとマイナスか。もういいよ。クリスマス中止だ中止!
 ブンビーは溜息をつき、隣の社員は寸毫変わらぬ速度のブラインドタッチでエクセルのマス目を黙々と埋めていた。
「ブンビーさん、何油売ってるんです? お客様が来たからお茶を出してください」
 少しとげのあるカワリーノの声に、脊髄反射的に直立不動の姿勢を取る。
「は、はいっ! ただいますぐ!」

「あ、あのう…」
「業務中に私語をするのは感心しませんね。そんなにお暇ならもっとお願いしたいことがあるんですが」
「あのう…済みません。気をつけます」
「あとお客様がいらっしゃることはきちんと予定に書いてあるんですから、時間になったら言われなくても準備をしておくものでしょう?」
「は、はい…」
「ただでさえこのところ人手不足なんですから」
「あ・あのっ!」
 カワリーノは胡乱げな顔をして立ち止まり、自分より頭一つほど背の高いブンビーの顔を仰ぎ見た。
 表情には出ていないが、暗黙のうちに余計なことは言うんじゃない、とでもいうようなオーラを放っている。ブンビーは思わず怯みそうになったが、どうしても聞きたいことを我慢していられるほど気長なたちではない。なによりこのまま生殺しなんて酷い。
「わ、私にはないんですか。…あの」
「ああ。黒い紙ですか」
 こともなげに言うカワリーノの顔には、やはり何の表情も浮かばなかった。血の気の薄い横顔を振り向かせもしないで、
「言ったでしょ。貴方は戦力外なのです。何もご心配になるに及びませんよ。だいたい、ハデーニャさんにムリだった事が貴方に出来るんですか?」
「…できるかもしれないでしょ」
「…本気で言ってるんですか? …そんなに死にたいんですか?」
「いや! 決してそんな!」
「もっとも、無駄だと分かっててもすすんで志願されるのであれば、聞いてあげなくもないですよ?」
「け結構ですっ」
 イヤミばかりを言う上司は、なぜか少し優しげに微笑むと、くるりと再び背を向けた。
「じゃ良いじゃないですか。なにも死に急ぐ事なんてこれっぽっちもないですよ」
(…だいたい貴方は、何より保身が大切な方じゃないですか)
 ある意味正しい絶望の仕方だ。命があれば丸儲け、ってどこかの芸人の処世訓だが。
「もう社長も貴方の事なんてすっかり忘れてらっしゃるんじゃないですかねえ」
「そ、そんなあ…」
「いいじゃないですか。あの方が覚えてらっしゃらなくても、私が覚えていてあげますよ」
「へ? …なんですって?」
「あーもう、良いからさっさとお茶。それから給湯器の様子がおかしかったので業者呼んで置いてくださいね。あと、先月の売り上げ報告書の収支がおかしかったので調べて置いてください。それから…」
「あーはいはい! 行きますやります。これ以上仕事増やさないで!」
「はいは一度で充分ですよブンビーさん」
 早足で去ってゆくブンビーの背中を見送って、…カワリーノはふ、と溜息らしきものをついた。
「……山一証券のお偉方も、こんな気分だったんでしょうね。きっと」

 暗澹たるこの社の未来にはいっそ清々しい気持ちすら湧いてくる。
 白皙の細面ににこやかな笑みを貼り付けたまま、場違いなほど軽やかに踵を返すと、カワリーノは面会相手の待つ応接室へ急いだ。