へびのあし#48 「君のそれはなに? 飾り?」

「自分たちの国を失い、未来を捨て、希望を失ったものたち…。彼らはパルミエ王国の住人たちですよ」
 ……正直びっくりだよ、もう。


「…カワリーノさんって変なところで人道主義者だったんだね」
 生きてたんだ、パルミエ王国の人たち。どおりで話しかけようが何しようが無反応なわけだよ。だって王国の連中じゃんあの仮面社員!
 だるま型ストーブの上には、やかんと干し芋が乗っている。こたつを持ち込んでみたものの、さすがにぼろビルの地下室じゃ寒すぎる。だいたい床がコンクリート打ちっぱなしって、どんな悪人のアジトだよ。次のバイト代が入ったら、タタミを入れるのが当面の目標なんだってさ。
 黒い仮面で自我を失い、例の蝶々で撃破された…と思われたギリンマくんは、ちゃっかり地下室にこんな巣を作って生き延びていた。彼曰く冬眠みたいなものですよだそうだが、仕事はぜんぜんみつかんない、らしい。
 今日日懐かしい、ブラウン管の14型カラーテレビが、カラーボックスの上に乗っかっている。電気屋で1980円だったなんて、満面の笑顔で自慢されても、ねえ。
 意外にこの子は私より生活力あるかも知れない。
「あれ、ブンビーさん知らなかったんですか」
 私はといえば。まあおおかたのご想像通り、突き落とされたところで飛行能力があるんだし、てっきり見逃してもらえたのかなーと思っていたけど。
 もともとあの人ってば、不殺主義者だったのか!
「…って、ギリンマくんは知ってたの?」
「ええ」
 こともなげに青年は言うと、黙々と皮を剥いていた蜜柑を一ふさほおばり、
「だってご存じでしょうに。私前線部隊だったし」
 あー。…。
「生け捕りに、っていうきっついリクエストだったんですから」
「…じゃあ君の腕についてるあれはなに? 飾り?」
「示威用の武器です。…警官の拳銃というか」
「何それ!」
 君はそれで良いわけ!? 非情そうな君がそれで!
「…何それって言われても。…あんなもっふもふ、殺したって後味悪いだけじゃないですか」
「あー…だから君って駄目なんだよ」
「ブンビーさんはどうなんですか」
 確かに。…あんな女の子たちと、ちいさい子供みたいな小動物相手にねえ。
「親子みたいな年齢でしょ」
「…それ、言わないでくれる? 地味に傷つくんだよね」
 ストーブの上のやかんがしゅんしゅん、音を立て始めたが、誰も席を立って下ろしにいこうとしない。スーキー、やかんをおろしてよ。それとなくギリンマくんの膝をつついてみたものの、すっごく嫌な顔をされた。
「お願いしますよ、居候」
 ひっど!
 しかしなんか言い返せなかった。いやいやこたつを抜け出すと、ほうじ茶を入れた急須に適度にお湯を注ぐ。香ばしい匂いが立ちこめた。
「…じゃあどうやって彼らを捕まえたの? ギリンマくん」
 聞かずもがなな事を聞いてみる。お茶請けに、と思って炙っておいたほしいもを回収し、一つを囓りながら、こたつにもどる。
 綺麗に花形に剥かれた蜜柑の皮が、もう一つ積み重ねられていた。二個目の蜜柑の白い葉脈を、長い指の爪先で念入りに剥ぎおとしながら、ギリンマくんが言う。
「えー。…えっとねえ。あんまり言いたくないですねえ」
「なんで」
「だって、絵的にすごく、かっこわるいし」
「だったら一番かっこわるいの想像しちゃうよ」
 かっこわるい、というと何だろう。今のこのざまよりもかっこわるいってどんなだろうね。こたつで蜜柑綺麗に剥いてる君よりかっこわるいもの? せっかくの変身形態で、タモ網と虫かごを持って森の中をうろうろしているギリンマくんを勝手に想像してみる。笑えた。
「…笑いましたね。どうせ貴方のことだから、捕虫網もって、鳥かごにでも一匹ずつ、収容している図でも想像したんでしょうが」
 わあ、図星。
「あのねえ、私も一応、コワイナー使えるんです。ブラッディさん程じゃないけど、まあそこそこには。…森の木に仮面かぶせて、一網打尽です。残念でしたね、意外と普通で」
 そっか。思えばなんてことはありませんでしたね。確かに彼のプライド的にはちょっとあれだろう。もふもふ相手に、効率重視とはいえ、コワイナーを使うってなんだかずるい。いや、プリキュア相手ってのも何だろうね、どことなくトホホ風味があふれているような。
 まあ、いいや。そのあたりは。
「ねえ、想像なんですけどね」
 しばらく二人で沈黙してたら、9時になった。炙って柔らかくなった干し芋を囓っていたギリンマくんがつと立ち上がって、テレビを消す。ちっとも笑えないお笑い番組の騒々しい音がなくなると、部屋はいやに静かになった。だるまストーブで燃えさかる火の、めらめらという幽かな音だけがボイラー室じみた小さな部屋を支配する。
 突然、口を開いたのはギリンマくんだった。
「私達って、実は現実への攻撃、出来ないんじゃないですか」
 ああ。…それは。
「どんなにたたきのめしても、切り裂いても、それは我々の世界での話で、…結局、何にも壊れてなんかいなかったじゃないですか。…今までも」
 うすうすそう思っていた。だって変じゃない。ガトリング砲にかまいたち。他にもなんかいろいろな、――普通なら怪我どころか人死にも出そうな、強力な武器。神出鬼没なのはさることながら、物語の世界にだってはいれちゃうお得な能力。あの変な仮面の「コワイナー」だって。
 でも、それはね。
 君や私が何か言ってはいけない。それを口にしたら、世界が滅びてしまうというぐらいの。
 改めて、なかなか賢いかつての部下の顔を見てみる。ギリンマくんは、雨の夜に独りでどこかに置いてかれた子供みたいな、不安そうな顔をしていた。
「…君、知ってるか? 実は私達は…」
「…いや、良いです。やめてください!」
 ぎゅ、と右腕にすがりつかれて、むしろこっちがどっきりした。…しっかりしてるようで、恐がりなんだから。見かけより硬い、緑色の髪の毛を撫でてやる。ギリンマくんはぷいと横を向いた。強情っぱりめ。
「…自分で言い出したんでしょ」
「『実は世界はもう終わってるんだ』みたいな冗談は嫌いです」
 ぶすくれた回答がすぐに返ってくる。とうの昔に自覚も覚悟もしてる。掌を太陽に透かしてみたら、掌まで透けちゃったみたいに悲壮でなくとも、観念が観念として自意識や自覚を得るなんて、ああなんて責め苦なんだろう。いっそのこと、円山応挙の幽霊みたいに、足がないなんてわかりやすい具体化がされていれば、私達だって少しは諦めがつくのだ。
 でも君みたいに、いつまでもこんなところで、細々と生活を紡いでいるような……なんて、ちょっとない。それをいうなら、私もか。居候だもんね。
 顔を腕にぐりぐりすりつけてくるので、ここからは緑色の髪の毛が生えた頭のてっぺんしか見えない。ちょっとまよったあげくに、その髪の毛にキスをする。
「……変なところに」
 文句を言いかけて妙な顔で顎を上げた唇をふさぐ。従順に口を開いて、おずおずと暖かい舌を絡めてくるこの子やこの私が、……なんてあり得ない。
「……ねえ、明日っから、ブンビーさんも仕事探してくださいよ」
 無印良品で買ったみたいな茶色のスエットの裾をまくろうとしたら憎まれ口を叩かれた。もちろん、良いよ。君がそうして、あくまで生活とやらにしがみつくというのなら。自分の本質を痛感しながら、あえてそれを認めないというのなら、
 まあ、あれだよ。江戸川乱歩もこう言ってるじゃないの。
 現世は夢、夜の夢こそまこと。
(了)