"夏祭り"


「ほんっとうに細いねえ、ギリンマくん」
 綿と麻でざっくりと織った布地が素肌に心地よい。
 ブンビーさんは溜息をつくと、タオルとか巻きたくなるよ、とかぶつぶつ言いながら、角帯を締めてくれた。きつめに引き絞るのがコツだそうだが、腰骨の高さで締め上げたそれは確かに、情けなくなるほど幅がない。
「うちの娘のほうが着せやすいね、ホントに。まああの子はまだ十だから、お腹出てるんだけどさ」
 着付けに奇妙に手慣れているのは、そのあたりの慣れのせいなんだろうか。背中のほうに周り、丁寧に結び目を整え終わると、最後に軽く腰を叩かれる。
 すでにブンビーさんは小粋な浴衣姿で、背中に団扇まで挿している。きちんと竹で骨を作ったやつで、和紙が貼られて、上から漆を塗ったやつ。ご丁寧にも大きく「祭」とまで書いてある。茶色地に薄く真田縞が染め上げられた浴衣が思いの外金髪に似合う。和装は着付けさえしっかりしていれば意外とそのあたりの取り合わせを嫌わない。むしろ風変わりな武士めいて、すらりと伸びた背筋や、厚みのある身体にぴったり寄り添っている。
 おそるおそる鏡をのぞき込むと、身体が細いのはまあ仕方がないとして、顔色が悪いのが決定的だった。できるだけそれをカバーする色を選んだ筈が、やっぱり何だか、幽霊みたいだ。
「大丈夫だよ、どうせ周りは暗いんだし。君みたいな我の強い幽霊いないし」
 余計なお世話である。

 何かの拍子に、浴衣なんて着たことない、という話になり、じゃあ、着せたげる、いちど着てみると良い、と言うことになった。浴衣なんて持ってないし、興味もない、と言っても一度決めたことをあのブンビーさんが撤回する筈もない。ナンパ率が上がるんだだの、夜のお姉さんにもバカ受けだのと力説するのを聞くのもばかばかしくなり、割とあっさり従うことになった。折悪しくデパートは軒並みサマーバーゲン中で、これまたさも常識のように色とりどりの浴衣が投げ売られており、普段ほとんど人影すら見ない呉服階は異様なまでに人いきれにあふれていた。
 うわあ。……ここに男二人で乗り込むのは、はっきり言って嫌だ。
「…帰りましょうよブンビーさん。…カップルばっかじゃないですか」
 小声で訴え、仕事帰り丸出しのスーツの袖を引っ張る。
「ナンパのためだ、この際多少の恥など来るべき明るい夏に向けての投資だと思い給え」
 いいからいいから、とかなんとか言いながら勇ましく売り場に特攻をかける上司をまさかほっとくわけにも行かない。ナンパナンパって、一人でやれば良いじゃないか。
 なるべく行き交う人に目を合わせないように、うつむき加減になりながら棚の反物を見る。そっちは女物だよ、とかいって襟首を引っ張られ、あわてて奥に引っ込むと、どうもこここそ男物らしい、茶色だの黒だの、藍染めだのの地味な生地が並んでいる一角があった。
「地味ですねえ」
 思わず率直な感想を漏らすと、あっは、とか笑われた。
「何言ってるの! 女の子ものが着たいなら止めないけど?」
 君は顔色が悪いからねえ、なんて言いながらあれこれ生地を物色し、その中の一つをさっそく反物ごと引き出すと襟首のあたりに生地をあてがってくる。
「ちょっと…やめてくださいよそんなお母さんみたいなこと」
 反物を押しのけてもあまり効果はないらしかった。あれ? だめ? 気に入らなかった? なんて言いながら他のをあれこれ引っ張り出す。それ自体は非常にありがたいんだけれども。
 そのうちどこからともなくやって来た中年の女店員と結託し、始終ニコニコして、あれこれ売り物を引っ張り出しては、お客様は肌の色が白うございますから、こちらのお色の方がようございますねえ、みたいなことをやりだした。中年女はスーツのまま浴衣を買いに来た男二人組にも、それがプロの証というように、顔の筋一つうごかさずに営業スマイルを保っていたが、きっと後で、楽屋裏みたいな更衣室あたりで、我々をネタにしてうわさ話大会でも繰り広げるに違いない、というのはさすがに自意識過剰の被害妄想だろうか。
 あんまりだ。
 そうしてあんまりな恥を掻きまくったあげくに選ばせられたそれは普通の吊るし物よりも多少値段が張る、割と大まじめな品物で、例の店員もあれこれうんちくを披露してくれたが、結局の所それを押しつけたのはまたしてもブンビーさんだった。
「良いじゃないそれ。似合うよ」
 貴方こそ店員になれば良いじゃない、と思うぐらいの手放しかつ本当らしい声色と真剣さで、上着を脱いだシャツの上から半端に羽織った格好で何が分かるのか、しげしげと頭から爪先まで眺めたあげく、ようやく快哉の声を上げたときには、こちらはもうへとへとに疲れていた。ここにたどり着くまでにこれは色が合わないだの、布地が安っぽすぎるだのとさんざんのだめ出しを喰らったのだ。
 それでもその点に関してはさすがに慧眼で、濃紺に水で淡く溶いたように緑色の入った地色に、色の濃淡で表したような、さりげない縦縞柄が入ったその布地は、幽霊みたいに青白すぎる自分の顔色にぴったり似合った。布地の感触も硬めで、きちんと折り目が立っているのが良い。値段の方は、くだんの店員が思わずにこにこするぐらい、多少張ってはいたものの、たった一枚買うものにあれこれ、糸目はつけない方が良い、という哲学については異論はない。
 この上着付け用の細い帯だの、角帯だの下駄だのを買わされ、帰途時には大きな紙袋を抱えて辟易する羽目になったが、ブンビーさんが異様に嬉しそうなのでよしとしようか。
 
「…待ってくださいよブンビーさん」
 慣れない鼻緒が痛い。指の間と足の甲が締め付けられてひりひりする。歩く度にこすれて痛い。
 真新しい浴衣を着て外に出る気恥ずかしさも手伝って、自然足取りものろのろになるところを、当然あの人が考慮してくれるわけもない。
 ブンビーさんは案外和装に慣れているみたいで、下駄も器用に履きこなしている。人混みをものともせずにさっさと先に行ってしまう背中を必死に追っていると、ようやく気付いたらしく、振り返って歩みを止める。
「仕方ない子だねえ。そんなんじゃお祭りの屋台、全部回れないよ」
 全部回るつもりなのか。
 近場の神社の縁日らしい。全国的にも有名な祭りらしく、長い参道にはたくさんの屋台がひしめき、多くの人が集まっている。メインのイベントはよく知らないが、なにやらの祭事があるらしく、奇妙な仮面をかぶった人間とたびたびすれ違う。仮面はベースが決まっているようで、目の穴の周りを黒縁で囲み、人と言うよりは犬猫めいた造形が共通している。その上に皆、羽根やら藁屑やら、人によっては造花などをつけて工夫を凝らしている。犬になるのか猫になるのかは各人の自由らしく、あらゆる素材で作った耳やら、時には鹿めいた角やらもついていたり、たてがみが生えていたりとすれ違う度に面白い。
「ここの神社は動物の神様なんだって。今日は一年に一度、その神様が神社にいらっしゃる日で、だからああして、人間は動物にならないといけないんだ」
 いちいち振り返って驚いていたら、どこかで調べてきたのか、すらすらとブンビーさんが説明してくれた。
「ああしないと残念なことに願い事が叶わないらしいからね。みんな必死だよ」
 ああしてる人はこの神社にお願い事がある人なんだよ、というと、ひひ、と微妙に下品っぽく笑う。
「まあ別にお願いごとがなくったって、ここの神様に一度お参りするのも悪いことじゃないでしょ。屋台巡りは後回しで、まず境内に行ってみよう、そうしよう」
 独り決めに決めてぐいぐい手を引っ張ってくる。別に急ぐこともないのに、人混みをかき分けるようにして早足になる。せっかくの綿飴やら美味しそうに焼けているイカ焼きやらにすら目もくれない。下駄履きのせいで何度か足を捻りそうになりながら頑張って歩調を合わせていくと、急に視界が拓けた。
 仮面のせいで表情は分からないが、妙に熱気のある人だかりができている。境内はもう少し進まないと入れないらしく、奇妙に巨大な鳥居からは仮装の人々があふれ出ていた。
「いったい何の御利益があるんでしょうねえ」
 一様に人々は熱心そうに押し黙っており、さっきの参道では気付かなかったが、どうやら二人一組になっているらしい。
「……縁結びだよ」
 まるでタブーに触れるように、ブンビーさんがそっと囁いてくる。
「円満じゃない夫婦とかカップルなんかがきてるんだよ。でもね、知らんぷりするんだよ。彼らは一様に気が立ってるから、妙なことを言ったらどんな目に遭うか分からないからね」
 へえ。それでこの熱気。でも殊勝なことだ、今のパートナーと末永くやっていくためにこうして努力をするというんだから。
 参拝の列に並ぶ必要もないので、ぶらぶらと人混みを縫って絵馬だの、縁起だのを見て回る。縁起には割とスタンダードな、相思相愛の狐のつがいがどうこうとか、境内の一番大きな杉はもともと二本だったのが梢の方で一本にまとまっているだとか、そんな内容が書かれてあり、確かに見上げるほどに大きな、しめ縄の施された杉の木は樹齢一〇〇〇年を越えようかという大樹で、ぴったり寄り添った二本が次第に合わさっているように見えた。もっとも梢の方は暗く夜空に沈み、よく分からない。狛犬もよく見ればユニークで、犬と言うよりは猿か悪魔のようにも見える。それも縁起に寄れば、なんとかという特殊な、この神社にしか伝わらない想像上の動物だとかで、国宝に指定されているそうだ。
「比翼の鳥に連理の枝ね。……別に私は、一人の誰かとそうまでして添い遂げる必要ないと思うけど」
 面白くもなさそうにブンビーさんは鼻を鳴らして、境内に比べて寂れた、おみくじ処やら絵馬やらをひっくり返している。
「しないんですか? お参り」
 あの列の奇妙な真剣さには辟易するが、そうなると何となく冷やかしてみたくなる。無為にがらがらとおみくじを振っていたブンビーさんが振り返る。
「ああ。…何君、私と末永く仲良くしたいわけ?」
 …そういうつもりじゃないけどさ。
「だって。……主目的は普通参拝でしょ? それにブンビーさんだってさっき、お参りに行こうって言ってたじゃないですか」
「いいけど、デパートの浴衣よりも恥ずかしいよ? いいの?」

(つづく 20080810)